デジタルブックの道筋

13歳のとき、両親がコモドールVIClというパソコンを買ってくれた。
もしも13歳の少年が啓示を得られるものだとしたら、これがまさにそうだった。 友だちが戦争ごっこをしたり禁断のプレイボーイ誌をながめてにやにやしていたとき、A氏は、初期のプログラミング言語であるBASICを独習し、最初のプログラムを書いた。
自分は現実の世界で生きのびられるほど頭が切れないかもしれないと不安だったので、4.000語の単語集を打ちこみ、コンピュータ版のフラッシュカード・システムをつくりあげたのだ。 「わたしは当時から変人だった」A氏は語る。
「変人の王様になりたかった」A氏は自宅学習を続けた。 あいた時間には、数学や物理学の本で勉強した。
それでも、17歳になるころには、両親から離れるようになった。 母親は、彼の2歳の弟の世話で忙しかった。
父親は、研究したり酒を飲んだりで忙しいことが多かった。 A氏は、アラスカ大学の電気工学部に願書を出したが、彼には成績証明書もなければ、高卒相当の一般的な資格もなかった。

大学は彼の願書を受け付けなかった。 「自分は勉強が遅れているのではないかといつも不安だったから、ハイスクールにかよえなかったのはとても残念だった」A氏は語る。
大学に願書を受け付けてもらうためには、SAT、ACT、GEDといった、ややこしい略称の試験を受けなければならなかった。 不安と、同年代の仲間に追いつきたいという激しい願望により、S氏は1日に2.0時間も勉強した。
10代のころから、M社の採用担当者に気に入られるような作業日程に慣れていたというわけだ。 「試験でうまくやらなければという強迫観念にとりつかれていたために、自分をとことん追い込んでよい成績をとろうとしたんだ」A氏は語る。
事実、A氏は大学進学適性試験(SAT)で満点の16.00点を獲得し、大学入学学力テスト(ACT)でも同じくらいの好成績をおさめた。 大学は彼の入学を認めてくれたが、電気工学部に入るまえに基礎必須科目をとるという条件をつけた。
A氏は上級クラスを受講し、ここでもまた、M社で祝福され呪われもした気骨をしめした。 彼が自分のとった成績を見せると、生徒指導員はただちに先の条件を撤回した。
それでも、A氏の不安は消えなかった。 人格形成期に同年代の仲間たちから隔離されていたせいか、「自分は頭がいいのだろうか?」という疑問が頭に焼きついていた。

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